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百済寺 (枚方市)[くだらじ] 百済寺(くだらじ)は、大阪府枚方市にかつてあった寺。天平勝宝2(750)年頃に百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)によって建立されたと言われている。1941年1月27日に国の史跡に指定され、更に昭和27(1952)年3月29日に特別史跡に指定された。その後1965-1967年に史跡公園としての整備が行われた〔平成18年度調査 〕。これは全国初とされる〔現地の案内碑(昭和60年3月文化庁・大阪府教育委員会・枚方市)による。〕。1973年10月、「百済寺跡の松風」として枚方八景の一つに選ばれた。
==概要== 枚方市内、交野ヶ原の小高い丘の上にある。金堂とその背後の講堂、食堂を中央に、それらの東西に塔を配した伽藍様式をもち、それぞれ礎石が残っている。また中門、南門、東門、東院の跡もわかっている。回廊跡は中門から東西両塔を取り巻いて金堂に取り付いている。この伽藍様式は薬師寺に似ているが、薬師寺は回廊が講堂に取り付くので百済寺とは異なり、百済寺はむしろ新羅の感恩寺と同形式であることが指摘されている〔〔亀田修一「朝鮮半島からみた枚方の寺院造営と瓦生産」森浩一・上田正昭(編)『継体大王と渡来人』大巧社、1998年。〕。このことから、古代日本と朝鮮半島との交流関係を知る上で重要な遺跡であることが知られる。なお奈良時代に創建されたが、七堂伽藍が完成したのは平安時代初期までかかったものと考えられている。 なお建築物は何度か焼失して残っておらず、基壇と礎石を復元した形で「百済寺跡公園」として整備されている。現在は再整備中である。西側には百済王神社が隣接する。 現在は日韓交流のシンボルとしての役割も期待されている。2005年から再整備事業が始められた目的にもこの点が挙げられている(外部リンク「特別史跡百済寺跡再整備事業に係る発掘調査」を参照)。
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